最近は自治体のガイドブックやネットショップの商品説明といった仕事が続いていて、毎日やたらと楽しいです。どうしてだろうと考えたら、俳句や短歌に似ているからかもしれないと気がつきました。
コピーライティングの楽しさ
私はコピーライティング専門ではないので、1行書いて完了する仕事はしていません。
まず冒頭のキャッチコピーを作ります。観光スポットなら「レトロマンティックなカフェ」、商品なら「街のリズムを刻むシューズ」みたいな感覚的な文章。
冒頭のキャッチコピー部分ができたら、今度は具体的な情報をコンパクトにまとめます。住所、素材、価格など、正確な事実を述べる文章です。
めいっぱい制限された文字数を意識しつつ、イメージ喚起と情報整理というまったく正反対なこの作業。
規定の文字数でイメージ喚起と状況描写を行う俳句や短歌に、とても似ているなあと思います。
日本文学と俳句と短歌
夏目漱石、三島由紀夫、宮沢賢治…… 多くの日本の文豪たちは、10代で俳句や短歌を詠んでいました。当時の文学少年にとっては、当たり前の「嗜み(たしなみ)」だったのかもしれません。
俳句や短歌は、言葉の取り扱い方を身に着ける最高の鍛錬。その経験があってこそ、彼らは優れた小説家になれたのでしょう。
言葉が溢れる
もちろん、俳句や短歌を読めば即コピーライティングにつながるわけではありませんが、少なくとも「言葉が足りない」状態からは脱出できます。
むしろ「言葉が溢れてどうしようもない」状態になる。
私の場合、何も思いつかないときは寺山修司の歌集が非常に効きます。舞台や映画、エッセイにもそれほど惹かれないのに、なぜかこの人の短歌だけは好きでたまりません。
雑誌のコピーを参考にしたり、セールスコピーの勉強をするのもいいですが、天気のいい日は書を買いに町に出るのおすすめです。